- 1947
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- 10月
- 松田精密工作所創業
- 12月
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日本最初期のボールペン誕生
終戦から約3年。
製造のための材料や道具も不足していた中、当時使えた機械は小型時計旋盤とボール盤だけ。そんな中、ボールペンのインクを通す約0.4mmの穴をあけるため、手持ちの材料を工夫してドリルを自作し穴を空けることに成功する。
インクも、油性インクを作ることから始まり、適度なネバリを出すため、何回も試作してはテストを繰り返し改良を加えていった。
こうして試行錯誤の結果、日本で初めてのボールペン"バンコ・ボールペン"は完成する。
- 1951
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- 10月
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藤田製作所創業
家庭用毛糸編物機、回転式灰皿の製造開始
業務用ではない家庭用の編物機。素人の特に女性にも簡単に扱え室内に持ち込めるような軽いもの、手編みの10倍以上の速度で編めるようにするなど様々な条件の下、先行商品とは違うものを作るため何度も図面を書き直す作業が続く。
その後試作機は出来たものの問題は多く何度も試作は繰り返され、試作機が出来るたび試し編みをし不備な点の改良を試みた。その苦心も実りついに家庭用編物機は完成の日の目を見る。
"デルタ式毛糸編物機"と命名され量産化が始まるが、そのための設備は何もない。
まず製材用の丸ノコ盤を作ることから始めなければならなかった。
生産設備の手作りというデルタ工業の伝統は、この時芽吹いたものと言える。
日本で初めてという回転式の灰皿の製造の仕事が舞い込む。丸い形の灰皿を作らなければならないことになったのである。
しかし、動力プレスを持たない藤田製作所にとって薄型鋼板をハンドプレスで丸く打ち抜くのは大変な作業であったが笑われるようなものは作れない。
3人1組でハンドプレスを操りながら型で打ち抜き、絞る。絞る作業を人力で行うのはかなりの重労働で、時には雪が降るのも感じないほどだった。
幸いにも納めた製品の評判はよく、引き続き製造することとなり特許取得も果たした。
- 1953
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- 3月
- デルタ工業株式会社設立
- 1954
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- 10月
- 自動車部品の製造開始
- 1964
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- 9月
- 自動車用シートの製造開始
- 1973
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- 12月
- 由宇工場の操業開始
- 1976
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- 4月
- 八本松工場の操業開始